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1.1 UNIX の歴史

UNIX は 1969年 AT&T ベル研究所の Dennis M. Richie と Ken Tompson によって 当時既に型遅れとなっていた DEC社のミニコンピュータ PDP-7 上に構築されました。
最新鋭のコンピュータ向けOSとしてではなく、 研究者の技術的な興味・研究の対象として誕生した点は特筆すべき 点かもしれません。
誕生
1960年頃 GE, AT&T, MIT の3者が、大規模なTSSシステム MULTICS (Multiplexed Information and Computing Service) の 共同開発を行っていました。MULTICS は当時としては考えられる全ての機能を 実装しようとした贅沢な仕様でしたし、従来はマシン語で記述していたOSを 高級言語(PL/I)で記述するという画期的な取組をしていました。
しかし長期化するプロジェクトからAT&T ベル研究所は脱落してしまいます。 プロジェクトメンバーだった Ken Tompson らは、このプロジェクトのために GE社から貸与されていたコンピュータが撤去される事を非常に不満に思い (噂では余暇にこのコンピュータで遊んでいたスペーストラベルなるゲームが できなるなることを不服として)、当時すで型遅れで見向きもされなかった DEC社のコンピュータに、自分の研究(遊び)を続けられる環境を作ろうとしたのが UNIX開発のきっかけだったと言われています。
MULTICS 開発プロジェクトの名残は UNIX のパスワードファイルにあり、 GECOS(General Electric Comprehensive OS)とよばれるユーザプロフィール領域が それだと云われています(GECOSとのデータのやりとりで必要だったそうです)。

予算化
Ken Tompson がアセンブラで作ったコンパクトなOS、UNICS はその「Simple is Best」ともいえる哲学が、同僚の研究者に受け入れられたようです。 同好の志は、 AT&T Bell Lab. で研究テーマとしてみとめられるべく、予算化 するため(より高性能のシステムを手に入れるため)研究所内を奔走したようです。
ほどなく予算はあるものの、システム化に手間取っていた部署をみつけます。 スポンサーとなったのは特許部門でした。 現在でも多くの製造業がそうであるように、特許部門は大量の文書に囲まれ、 人海戦術を余儀なくされていたそうです。
そのスポンサーの意向もあり、UNICS は m4, roff, man, grep など数多くの 文書処理ツールを実装することとなります。

AT&Tの外へ
UNICS に興味をもった Dennis M. Richie は、彼自身が暖めていた新しい コンピュータ言語 C を用いて、UNICS を書き直すことを K. Tompson に薦め ます。その結果、UNICS は 90% を C 言語で記述されることになります。 つまり C言語が実装できる環境であれば、UNICS を移植できる可能性がある という事になります。
事実、その後多くのハードウエアに移植されることとなり正式に UNIX として 好評される事になります。 AT&T Bell Lab. では正式なプロジェクトとして UNIX を認め、版管理も されるようになりました。1974年 UNIX Ver.5 が AT&T Bell Lab. から外部に向けて公開され、翌1975年には Ver.6 が公開されます
さらにこの頃、K.Tompson は客員教授として米カリフォルニア大学バークレー校 に招かれます。そこでOSの研究教材として UNIX を提供し、後にBSD版 と呼ばれる UNIX の系統が誕生することとなります。

商用UNIX
UNIX は商業利用目的ではなく研究対象として構築されたUNIXは、誰にでも その設計図とも言えるソースプログラムを公開(現在ではライセンスが必要です) するという画期的な手法で配布されました。
そのためコンピュータの研究者を中心に、瞬く間に世界中に広がりました。 と同時に最新のIT実験場として多くの優秀な人材が、メーカや国といった垣根を 越えて協力しあい、切磋琢磨することで進化してゆきました。
そのUNIXを各メーカーが自社製品をより効果的に動作させるよう手を加えたものが 商用UNIXと呼ばれるOSとなりました。 サンマイクロシステムズ社のSolaris、IBM社のAIX、HP社のHP-UXなどが有名です。
また1980年頃には、独占禁止法に絡んでコンピュータ関連事業に積極的ではなかった AT&T が方針転換し UNIX を製品として出荷するようになります。 つまり各社が亜流を作っていた UNIX に対し、ライセンスを課す戦略を打ち出します。 また PWB(Programmer Work Bench) や System III といった AT&T版 UNIX も 出荷するようになりました。
このAT&T の方針転換によって、UNIX 系OS の Free 化が促進されることになります。 NetBSD, FreeBSD, Linux やコンパイルシステム、ツール群で有名な GNU projectFSF、 HTTPサーバ、DBMSなど数多くのプロジェクトからなる Apache Software FoundationPerl Foundation などが有名です。

混乱期
相互運用性を高めようと同じ素材を用いたのですが、結果として商用UNIXは各社の 個性を生かすため、やはり微妙に異なるOSとして発展をしはじめました。
各社は連合を組み UNIX での覇権争いを始めます。Sun と AT&T 陣営の UI, IBM, DEC, HP の OSF が代表的な団体でした。国内でも利用目的は限定されていま したがΣプロジェクトなど、UNIX を取り巻く標準化団体・企画がいくつも存在す るという混沌とした状況が生まれました。
そこで米国防省(DoD:世界でも最もコンピュータを利用している組織のひとつ) が主導しUNIXの統一規格を制定することになります。いわゆる POSIX 規格と呼ばれ るもので、現在は IEEE 1003.x を経て ISO/IEC JTC1 SC22 として国際規格に採用されています。
UNIXを名乗るためには The Open Group とよばれる団体の認定を受ける必要があります。

安定期
一時はメーカー同士の覇権争いで混沌としていた UNIX ですが、その後コンピュータ メーカの淘汰や、Windows との競争の中で Linux が有望視され台頭してきていると いえるでしょう。
2000年頃まで、各コンピュータメーカはCPU、OS、それを開発するための言語や ミドルウエアまで自前で用意していました。 しかしシステムが高機能・複雑化する中で分業化が進みハードウエアおよび開発環境と ミドルウエアが分離、され例えばオラクルといったソフトウエアベンダーが登場します。 今日ではCPUも業界再編が進み、特にサーバ分野ではインテル系(IA32/64)、 IBM系(PowerPC)の2強に集約されつつあります。 その中でOSも集約され、1社が複数のOSをもつという流れから、1つに集約する 流れに変わっています。例えばHP社は多くの会社を買収した結果非常に多くの製品群を かかえていましたが、Linux へ集約する方針を出しているようです。


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* この話しはもう20年ほど前に作者が、先輩や同僚から聞いた噂話が中心なので 出展は怪しいことを追記しておきます。

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